有識者インタビュー対談企画わたしたちの消費にサステナビリティはあるのか?

「サステナビリティ」という言葉が世界中を飛び交う中、人の暮らしが真にサステナブルであるために、消費財の提供側が今考えるべきこととは。有識者へのインタビューを通じて探る。
ファッションこそが日常とサステナビリティをつなぐ扉。いわゆる西欧的価値観と対極にある発想をヒントに、人間にしかできないようなものづくりを。

――― ifs浅沼(以下:ifs): こんにちは。伊藤忠ファッションシステムの浅沼です。この度、『私たちの消費にサステナビリティはあるのか』、というテーマで、有識者の方々のお話を伺いつつ、これからの消費の意味、そしてそのサステナビリティについて考えていく、そんな対談シリーズをスタートしたいと思っております。
記念すべき第一回目は、シリーズの基調講演のような位置づけとして、ここ、「伊藤忠SDGsスタジオ」に、元文化庁長官で、現在、国際ファッション専門職大学学長でいらっしゃる、近藤誠一さんをお迎えしました。近藤先生、どうぞよろしくお願いいたします。
ちょっと前置きが長くて恐縮ですが…2020年の初頭から、コロナの感染症であったり、非常事態宣言などありまして、これまで考えもしなかったような状況の中で私たちの生活が続いてきました。その中で多くの人が、これまで何気なく買ってきたものとか、してきたこととか過ごしてきた時間といったような、つまり消費の数々は一体本当に必要だったんだろうか?あるいは社会全体から見てこれはOKだったんだろうかとか、レジ袋が有料になったりしたこともあって、あるいは宅配でたくさんダンボールが届いて、その山を見ながら考え始めたんじゃないかなと思うんです。中でもファッションは明確に生活必需品から外れてしまった訳です。なくても生きていけるカテゴリーとして認定されてしまったんですよね。そんなわけで、業界全体が今耐え忍んでいるそんな状況にあります。


1.課題が山積するファッション業界をサポートしようと考えた背景
――― ifs : その上、それ以前からだと思いますが、ファッション業界はご存知のように素材とか生産とか廃棄つまり環境や労働問題から消費のあり方まで、ある意味問題視されているような相当チャレンジングな状況にある。近藤先生は現在、国際ファッション専門職大学学長というお立場でもいらっしゃいますね。なぜこのような時代の中でファッションという世界を支えてくださろうとしていらっしゃるのか、お伺いできればと思っております。

近藤 誠一氏近藤誠一氏 (以下、近藤): 今、人類が直面している最大の問題が地球の破壊、自然の破壊、それを防ぐためのサステナビリティをいかに達成するかということだと思います。あまりにも大きな問題で、一般の方々が十分に自分の問題として捉えにくいそれが故に、なかなか解決に向けた運動が思うように広がらないですね。政治もビジネスもどうしても目先のことに目がいってしまう。そうすると、本当は根本的にライフスタイルを変えていかなければいけないのに、充分な対応がこれまでできていなかった。しかし、ファッション業界っていうのは先ほど生活必需品ではないとカテゴライズされたとおっしゃいましたけれども、毎日何を着ようか、どういうネクタイをしようか、靴はどうしようか考えますよね。広い意味でファッションが日常生活に関係していると考えれば、これこそまさに一般の方々がSDGsあるいはサステナビリティの重要性を自分のこととして考える入り口として服飾、ファッションというのは非常に意味があると思うんですね。ファッションだけでなく、食つまり毎日必ず食べるもの、使うもの、考えるもの、そういうところにSDGsのアイデアを組み込むことで、ひとりひとりの認識が深まるのではないか。そういう意味でファッションという世界はポテンシャルがある。ですから、そこで我々がサステナビリティを追求する価値がある。もう一つはファッションっていうのは当然ながら国境がない、文化の違い、民族の違い、そういうものを乗り越える力がある。むしろそのような機能を持っているものを我々はファッションと呼んでいるのでしょうけど、そういう意味で全地球の人間がサステナビリティを考える…政治体制とか経済が好調かどうかに関わらず考える上で、一つの有用なツールであるということ。そして、もう一つは私、個人的に強く思っているのは、日本の伝統的な文化、精神性、美意識、自然観、そういったものは、ファッションにはっきりと出て来うるし、それによって日本人が大事にしてきた精神性、西洋とはちょっと違う元々自然に優しくてサステナブルな日本人の生活スタイル、発想というものをより可視化するツールになる、そして世界に発信していくツールになる、そう思っています。したがって、政治的、あるいは経済面で日本は一時期のような勢いはありません、しかし、日本が持っている最大の潜在力は文化にあるし、文化の中でも、特に自然に優しい、自然と一体になっていく、それが当たり前であるような、そういう文化がもっと世界に知られていく。それによって、サステナビリティの精神も地球全体に広がるし、それを先導することにより日本が本来あるべき地位を取り戻すことに役立つだろう…そういうようなことから、ファッションは大事な世界だと思います。
さらにつけ加えて言えば、ファッションは地場産業、特にその地域の素材や、織物などと密接に関係していますから、ファッション産業がそういう意識をもって活動することで自然に根差した地方独特の文化の価値が再認識され、それによって、その地域の地場産業が活性化するきっかけにもなるのではないか。今たまたま大学の学長をしていますが、そこでは18歳ぐらいから子供たちがファッションを通して、いろんな文化の素晴らしさと共に、サステナビリティの重要性を学ぶことができるし、そういうファッションの潜在力を顕在化させる人材を育成していけば、ファッション業界は、今後大いに伸びるし、そういう価値を高めることができるんだと。今後人類にとって一番大事なサステナビリティというものを自分の生活の中で体現することで、他と連帯して社会に広めていく素晴らしい世界なんだということがわかれば、当然需要が増し、ビジネスチャンスが生まれ、いろんな角度からファッションというのは今一般的に考えられる以上に重要な役割があり、そこで努力をする価値があるという認識が深まる。うちの大学ではそのきっかけをつくることができる。そんなことを考えているわけです。

――― ifs : ファッション業界にいる者として、産業構造として疲弊してきてるなあっていうことを日々思うので、近藤先生がそうおっしゃってくださると非常に勇気づけられます。先生は、ファッションをある意味メディア、媒体として捉えていらっしゃる。身近なサステナビリティにつながる媒体であり、扉にもなり、世界と繋がるものにもなり得る。それから地域の良さを発信していくメディアにもなり得ると。あとは、日本のユニークさを発信していく、プラットフォームにもなり得るということでファッションにすごくたくさんの可能性を見出してくださった。

近藤:素材から加工して製造し、運送して販売し、販売の仕方もこれから多様性が増すと思います。そしてそれを買った人がそれを着る。レンタルも今後増えるでしょう。そしてクローゼットに注目すると、そこにあるけど着ないものをどうするか、ほったらかしにして、フードロスならぬクローズロスになってしまっていいのか。着なくなったものは何とか処理をしなきゃいけない。生産・流通・消費の全行程で無駄を省くことで、地球の生態系の流れにできるだけ応じて、それに準じた行動する。ファッションの生産体系とでもいうものは、最初から最後までサステナビリティに密接に関係しているので、それぞれの分野に関連する人がそこで認識を変え、行動に移せる。それによって人類全体に広がるような非常に重要な分野でもあると思うんですね。


2.西洋のものづくりとは反対側にある価値観
――― ifs : いくつかポイント挙げてくださった中で、「日本のユニークさ」というお話もあったかと思うんですけども、日本はある時期、ファッション業界で、グローバルからのいい意味で視線をとても集めていた。そのとき、イッセイさんにしても耀司さんにしても、それまであった西欧的な規範をひっくり返す視点を持ってグローバルオーディエンスからのリスペクトなり驚きなりを得てきた、というような気がするんですね。今、ビジネスを考える上でサステナビリティという発想が不可避ですが、社会課題を考えてものづくりをする時に、今、特に西欧的な規範の中で、どんなことを日本はひっくり返せるという風に思われますか?あるいは、そうすると面白いんじゃないかと思われますか?
近藤誠一氏
近藤:明治になって開国をして、とりあえずは西洋のものをどんどん入れて、ファッションとかまあ鹿鳴館がそうですけど、とりあえず真似をしたが、全部が全部消化できるものではない。自分らしさを徐々に出し始めて、一人ひとりに自信が出てきて、そしてそれを反映してイッセイさんとか、色んな有名な方々が日本らしいもの、これまでの西洋の価値観とは違う、場合によっては対極にある価値観をうまく使って世界で活躍をされたわけですね。今の時点で、あるいは今後を考えて、西欧の価値体系に比べて、日本はそれとは全く違うけれども二一世紀というサステナビリティを重んじる時代に極めて適合しているものっていうのはいくつかあると思うんですね。西洋では伝統的に科学や機械を使って人工的に素材をつくって、人間にしか出来ないようなものをつくる。素材もそうですし、いろいろな装飾もそうですけども、人工的であることが良いこと、自然のままというのはレベルが低いというか、ダサいというかそういう意識がありました。日本は逆に自然の素材を大事にする。食もそうですけども、ファッション・衣服もそうですよね。素材の質を良く見て、いいものを作り、その素材の良さを生かすのが一番大事であって、ということは逆に言うと、いろんな化学繊維を使ったり化学物質で色をつけたり、そういうことはなるべくしない。自然の色、自然の素材を使うというのが、日本の伝統的なこと。人工的なものが良いという西洋の発想に対していや、そうじゃない、自然のままが良いんだ、自然のままであるほど良いんだという長い歴史を日本は持っている、と言えると思います。

あとは西欧の人は普遍性というか、統一性、自分たちが作ったもの、身につけたものが一番いいもので、これは世界に通用するものだ、単一のアメリカ式民主主義みたいなものがいずれは地球を支配するんだ、そういう思い込みがあると思うんですが、我々はそうではなくて、人には色々な多様な価値観があるし、何かつくるとしても同じものを大量生産してコストを下げてたくさんつくる、たくさんの人に同じような、茶碗なら茶碗を使ってもらう、というのではなくて、一つ一つ茶碗に思いを込めて一つ一つ違うものを作る。それはもう樂焼であれどんな作品であれ一つ一つを大事にする。世界に一つしかないものをつくる。統一性とか標準化とか、それによるコスト削減ということとは全く違う職人の世界や価値観があります。
そういうものをこれから広めることで、消費者も、安く、工場の大量生産でできた茶碗を気軽に使って壊れてたら捨てちゃう、と言うのではなくて、これは○○さんが作った茶碗で世界にひとつしかないと思えば、作家の思いが繋がるし、だから大事に使おう、ちょっと欠けてもそれは金継ぎなどで修復をする。そして最後まで使い続ける。どうしようもなくなったら、それは土に還るわけですね。プラスチックは土に還れないけれども、土や木からつくった日本の伝統工芸品は完全100%土に還る。自然の生態系の中にちゃんと戻っていく。
そういう個別性、自然の素材、その二つは、西洋のものづくりとは反対側にある価値観であり、今のサステナビリティの時代には極めて素晴らしい価値観・価値体系だと思うんですね。だから、その関連もありますが、西洋で作られたものは、普通の商品であれ音楽芸術作品であれ、経年変化というのもマイナスにカウントしますよね。古くなると磨いたりして、オリジナルから色が変わったことはマイナスに捉えますが、日本人は逆で経年変化はプラスなんですね。陽に焼けたり、ちょっと苔が生えてきたものを良しとする、むしろ価値が高まる。ということは一旦手に入ったものはやっぱり大事に使うってことに繋がる。したがって、時間の経過による変化をポジティブに捉えるのが日本の伝統的な思想だと思うんですが、それもまたサステナビリティにぴったりの発想だろうと。
さらにもう一つ加えると、西洋では何かつくる時にその素材の木なら木の最も中心部のいいところを切り取ってものをつくり、ハギレが残ってしまう。ハギレはもう捨てるか燃やしてしまうか…日本人はそうではなくて、ちょっと曲がっちゃったもの、ちょっと木目が不規則なもの、そういうものも良しとして、自然が作ったものなんだから、それで何かをつくる。それがまたなにか温かみがあって人間らしくて、それを好む人が出てくるという。考えれば考えるほど西洋的な価値観とは全く対極にあるような価値観を日本人は持っているし、それはほとんどすべてがSDGsと合致していると。
そういう意味で、日本がずっと伝えてきた価値観をそのまま出すことが結果的には、これまでの西洋発の価値観といったものをひっくり返すと言いましょうかね。ひっくり返す意図がなくても、結果的には彼らが気が付かなかったことに日本は気づかせることができる。ちょうど北斎の浮世絵がフランスの印象派の作家たちを驚かせた、それと似たような現象。彼らの価値観、つまり素晴らしい美意識がある人々によって素晴らしい芸術がつくられたけれども、やっぱりそこで日本人がやってきたこと、たまたまかもしれませんが日本で続いてきた、自然と共にという考えを今出すことによって、西欧中心の文明が招いた、環境危機、地球危機解決して行く上で、日本的な発想、価値観というものが極めて重要で、それを広げるのが、我々の使命でもある。

――― ifs : おっしゃるように、やはり西欧社会にとって自然は征服する対象であって、共に生きていく対象という考え方ではない時期が長かったと思うんですよね。それがだんだん、それこそいろんな国の発想から少しずつ西欧社会も気づきを得て、今どんどん変わりつつあると思うんです。おっしゃる通り、日本はもともと、自然と争わないという発想を持っている文化だと思いますので確かにそれは西欧的な規範をひっくり返す一つになるかのだと思います。
それから、統一性と言うよりは、唯一性のようなところに価値観を置くというのも大事な日本の文化のポイントですね。近年、日本は個性的なものを排除するって言われますけれども、プロダクトを見るとそうでもないんですね。一つ一つの違いのようなものを愛でる感覚を持っていますよね。そのような感覚を今こそ思い出したらいいんじゃないか、と先生のお話を伺いながら思いました。
使い切るような文化、ハギレもそうですし、いいところだけ取った後、捨てちゃうんじゃなくて、その周辺の部分も含めて…例えばクジラとかもそうですね。日本は全部使い切るってことを考えてきました…必要なところだけ取って捨ててしまうことに対して、使い切るという文化が結局は自然にやさしいことなんだということを訴えていけるのかなという気がします。

近藤:日本に仕立直しという習慣があって、おばあちゃんの着物を少しずつ仕立て直して、三世代くらいが着て、もう着物としては着られなくなってしまったらそれは別のちゃんちゃんこにしたり、ベビー服にしたり、あるいは子供の運動着や最後には雑巾にまでなって充分に使い切るわけです。最初のプロダクトの形態だけではなく、それをどんどん質とか強さに応じて別のものに変えていく。物を大切にする最後まで使い切るという日本人の精神ならではですね。

3. クリエイションに携わる人をどう励ますか
伊藤忠ファッションシステム 浅沼小優――― ifs : たしかにそうですね。でも、今は長く使っていくっていうことが、ファッション業界が元々持っているものと矛盾する部分が出てきてしまって…つまり、ファッション業界は常に新しいトレンドを歓迎して、目新しいものを取り入れることで、自分たちを活性化し、業界を活性化してきた。あるいは市場を活性化してきた。でも、ここに来て、おっしゃるように、だんだん私たちの価値観がこの状況の中で変わって、長く使えるものを求めるという考え方が若い人の間でも広がってきていると思います。今、ファッションを学ぶ学生さんを多く抱えていらっしゃる中で先生は、“新しいものをつくることの意義“をどんな風に伝えて、あるいはクリエイションに携わる人達をどう励ましていけばいいのでしょうか?近藤:”ものをつくる”というのは市場の流れを見ながら、たくさん売れるものをつくってお金を稼ぐというものでは本来ない。もちろんお金が入ってきた方が良いが、それが目的ではない。自分がつくりたいもの、自分が惚れ込んだもの、惚れ込んだ素材を使って時間をかけて手間をかけてつくるものなんだと。そうすればするほど、それを使う人や着る人がそれがわかって評価する。なかなか従来の経済価値では、表現しにくいんですけども、本来ものづくりをしている人がつくったものを使うというのはそういうものであって、単一の価格でできて安い方がいい、大量生産すればコストが下がる、という経済の世界とは違う。もちろん経済は社会のエンジンですからその活動の上に乗るための工夫が要りますけど、本来ものをつくるというのは、当然長持ちし、色々な応用が利く、最後まで使い切れるようなものを考える。消費者が喜んでくれるものをつくることの歓びもつくる人は持たなければいけない。そこには自分の信念なり美意識なり、あるいは親御さんから、先生から教わったものを反映させることで自分の生き甲斐として徹底的にこだわっているものをつくる。それがその人にとって、お金儲けになるかどうかとは別の視点から生き甲斐を感じる。
”つくる”ということは、そういう自分の生き甲斐を見つけることなんだということを学生たちに教え、その時にはやっぱり使い手の顔も思い浮かべて「これはこういう20代の女性が着るもの」などその人たちの顔や生活スタイルを思い浮かべながらつくる、そして使う人・着る人が、そういう気持ちでつくってくれたんだなと思いを馳せる、つまり、つくり手と使い手が直接顔は知らなくても何か心が通じる…。今だんだん断絶の世界になってますが、ものづくりを通じて、心と心が通うもの、それがものをつくる喜びだということを、つくる人にも使う人にもわかってほしいですね。

――― ifs : こだわってつくったものは、長く使って欲しいですしそれこそそれを使いきって欲しいと思うでしょうし、また、つくり手が、それを手にする人の顔を思い浮かべながらつくると、モノを通してパーソナルな関係性が生まれてくるかもしれないですね。

近藤:モノは単なるモノじゃないですよね。ちょっと話は飛びますけど、マルティン・ハイデガーというドイツの哲学者なんですけど、『芸術作品の根源』という本がありまして、そこで面白いと思ったのは、彼はモノには三つある、一つは「自然物」。そこら辺に転がっている石とか木とか。それから二つ目は人間が道具としてつくったもの。柄杓や茶碗、ナイフなど。三つ目は人間が芸術作品としてつくったもの。その三種類があって全部違うんだ、と彼は言うんですね。
特に二番目の、日本で言うと職人が作った道具と三番目の芸術作品。ここにまずはっきり差をつけている。でも考えてみると、日本の文化ではその三つが全部一体化していますよね。自然を何かに見立てることもあれば、何かを作るときに、釉薬みたいに自分で全部塗るのではなく、自然の力で垂れていく。自然の摂理と自分の美意識と、「用の美」というか、実際使えるものとを合わせたものが、日本の工芸であり、日本の“ものづくり”の根底にある。ハイデガーの頭の中では、「自然物」としての材料・原料。それを使って人間が自分の利便性のために、あるいは富の為に手を加えたものとしての道具。そういうものとは全く別の芸術的な発想で何かをつくる。その三つのモノに分けているということは、ある意味で極めて人間中心主義的で西洋的かなと思います。

――― ifs : なるほど。翻って、日本には石や木にも魂を見出すような、そういう対極的な感覚が今もありますね。

4. 人の心を動かす要素
――― ifs : 先ほど、モノはモノじゃないというお話をお聞かせいただきましたが、先生が2013年文化庁長官時代に、富士山の世界文化遺産登録をされるにあたって、山としての富士山を超えた、信仰の対象と芸術の源泉としての富士山というストーリーテリングによって、認定プロセスの中での難しい局面を打破されたと伺いました。消費社会において、モノがモノとしてだけ存在するという事は当然あり得ない訳ですが、どういったストーリーがこれから重要になっていくのか?言い換えると、どんなキーワードが重要になっていくのか?人の心を動かしていくという風に思われますか?

近藤 誠一氏近藤:ある作品、あるいは商品があって、それが例えばある木できたものだとすれば、その木というものは自然体系の中でどういう位置にあるのか?植物は光合成をやることによって無機物から有機物つまり、タンパク質やアミノ酸をつくって酸素を出して、それを草食動物が食べてそれを肉食動物が食べて、最後は遺体となって、あるいは排泄物が残って、それを細菌が分解して、また無機質な物質に戻す。そうやってぐるぐる回っていて、その量も一定ですから、一定量の無機物がクルクル回ることで、有機体である生命は無限に生きていけるという不思議な世界を自然はつくっている。じゃあ、そのサイクルの中で自分が今持っているモノは、どこの位置にあるのか?その食物連鎖の中で、人間とはどこに居るのか?そのような発想を持つということが、まさにサステナビリティを考える基本中の基本だと思うんです。無数に近い動植物の種類があって、それらが複雑な形で連鎖をしているんですよね。一つとして、無駄な存在、生物はないんだと思うんですね。ミミズにはミミズの役割があるし、ゴキブリにはゴキブリの役割があるし、ネズミにはネズミの役割がある。まあ汚いものを食べて掃除してくれる訳ですよね。あるいは土を肥やしてくれる。でも人間にとってみると気持ち悪くて害虫になっちゃうんですね。都合の良いものは益虫に、美味しいと思うものは家畜にして、まずいものは野生動物として駆逐してしまう。そういう自然の生態系をいわば無視して自分の都合で色んなものを殺したり栽培したりしてる訳です。
そういう意識を変えて、生態系の中に生まれて、そこに居るからこそ生きていけるんだ、子孫も残せるんだという気持ちを持つためにも、あらゆるもの、生き物にも商品にもその役割があるんだと。したがって、ここにある小道具はその中でどういう役割があるんだろうか?ということを考える。そういうような発想、コロナでさえウイルスでさえ、いいことをたくさんしてるわけですよ。たまたまコロナは都合が悪いから戦おうとしていますが、コロナにはコロナの、そしてウイルスにはウイルスの大事な役割があってそれがあるからこそ生命体が回ってるわけですから、そういう広い見方をする。そうすれば、コロナを全滅させるんじゃなくて、withコロナである程度付き合っていく、共存して行く、お互いにほどほどに付き合うという、そういう発想になる。これもまたサステナブルとして大事なんですけども、そういう発想を持つために、個々のものが自然の中でどういう位置にあるのかを考えてみる、ということですね。
それから、ストーリーとしては、そこに自分のどんな想いがあるのか?その想いの源は何なのか?例えば工芸品で言えば、親父がこんなに苦労してやっと作り上げ、達成したもの、それを自分が引き継いで、その影にはもう三十年、四十年の親父の苦労があるとか。同じ作品を見ても、そういうバックグラウンドがあると、使ってみよう、となる。単なる経済価値、商品価値とは違うもの、発想が生まれる。それからストーリーと言えるかどうか分かりませんが日本は目に見えないところにもこだわりがあり、例えば茶碗の裏側とか、普段見ないところ、普段棚に飾っている時には見えないところそういうところに想いをつめる。
自然、あるいは自然という神様を介して自分のベストをあらゆる部分に尽くす。普段見えない底についても、こういう苦労をしてこういう部分からヒントを得てつくる。あるいは、ある形を考えるときも釣りをして、いろんな魚を見て、その魚の形からヒントを得る。そういうようなその自分のモノづくりへの想いの過程でセンスを養う。日常生活の中で自分の想いを形づくってくれた、いろんな情報や過程、言葉などを大事にして、それを語ることでそのモノだけにしか無いストーリーが出てくるんじゃないでしょうか。

――― ifs : 俯瞰して見るような視点であったり、それから、それこそミミズだってゴキブリだって無駄な存在はないという視点に深く共感します。今、人も同じように扱われかねないですよね。一見役に立ちそうな人だけ大事にするような風潮が、社会全体に広がっているようです。でも、本当にそれでいいんだろうかと問うタイミングですし、本当の意味で一つ一つの存在価値を認めるというのは、今の時代とても大事な発想なんだと思います。プロセスを含み込ませて最終的なモノを見てもらうということが、ものづくりをする人にも大事ですし、それを手にする人にとっても伝わるような、響くような要素になり得るんだなという風に思います。

近藤:やはりモノには、完成に至る過程で長い歴史がある。歴史を物語ることによって、そのモノの価値が高まる、魅力がある、大事にしようって気になる。工場で、大量生産したものはそのような感覚はないですよね。原料がバーっときて機械が自動的に作るってだけで…。そうではなくて人がつくるものというのは、そこに歴史、その人の歴史もあり、ものをつくる過程での歴史やプロセスが存在する、そういうことをどういった形でわかりやすく伝えるかということは、若干のスキルはいるかもしれませんね。今こういう時代ですからだらだらとしゃべっても誰も聞いてくれないので二言三言でズバッと言える、SNSに乗りやすいようなストーリーというのも必要かもしれません。


近藤氏と浅沼

――― ifs : あるいは、モノとして、それが体現できれば、言葉が要らなくなるかもしれませんし、そうすると言語も超えられるかもしれないですよね。冒頭でも触れましたが、私はデザインとかファッション業界の片隅で仕事をしてきて、この業界はいったいこの先どうなっていくんだろうか?と、特に最近感じることが多かったのですけど、今日、近藤先生とお話しているうちにモノが持っているポテンシャルとか、ファッションが持っているポテンシャルみたいなものを改めて教えていただいたような気がして、自分の中でかなり鼓舞されたというか、非常に励まされたというような気がします。ありがとうございます。

5. 最近気に入っているもの
――― ifs : 最後にカジュアルにお答え頂ければ…最近お買いになったものとか、手に入れられたものとかサービスで、これいいなとか、気に入ったな、とお感じになっているものはございますか?

近藤:例えば黒いトートバッグなんですが、ある方から贈っていただいたものが使いやすいんですね。それまでも、黒が無難なので黒のバッグを持っていて、普通の手提げ鞄に入らない書類などを突っ込んできたがどうも収まりが悪い。でもそのバッグは口が広くてかつ型くずれしないので書類が綺麗に入る。ビンなどを入れても全然問題ない。ちょっとした工夫なのか、偶然なのかわかりませんが、使いやすくて、気に入って使ってますね。ちょうどうまく出来ているというか。そうですね、サイズとか、材質もありますけど、ちょっとした工夫で随分使い勝手が違ってくる。その辺はデザインの問題があると思います。
もう一つは食べもので、ある知り合いの写真家から頂いたんですが、広島の尾道で牧場をやっているところが作ったクッキーなんですけど、ロバの形で、非常にかわいいんですね。あまりにもかわいくて注文しちゃったんですが、可愛すぎて食べられない。家族と「あら可愛いわね、でもちょっと食べるの可哀想」なんて話していた。食べなきゃ儲からないから食べたほうがいいのでしょうが。クッキーにはいろんな種類がありますが、多分そんなに高級な素材を使っているわけではないんでしょうが、ロバの頭や牧場の当たり前の景色をちょっとかわいくデザインしただけなんでしょうけど、それがやたらに我が家ではウケている。ご質問の答えにならないかもしれないですが、最近買ったもので印象に残っているものはそれぐらいですかね。

――― ifs : 形の可愛さにふっと和んでしまうというか、ある意味カンバセーション・ピースのように、これがあると、皆さんの場が和むとか、団欒ができるとか、そういうことがあるのかもしれないですね。

近藤:そのロバの顔を見ているだけで、そこの牧場は見たことはないんですが、こんな牧場だろうなとか。野生動物を飼うのは大変だろうな、とか想像していたら、その人から、実は親父さんが、昔から動物が好きで、ある時ロバを一頭買って可愛がって、一頭だけじゃ寂しくなってメスを飼ってきて子どもをつくって、それが今六頭まで増えましたと。今度は餌をやるのが大変で、ご本人、女性なんですが、家に帰ると一生懸命餌をつくっている…なんて、そういう話をしているので、本当に自然と一緒になったストーリーですよね。
そのストーリーをビスケット一つから思い浮かべて、自然への愛おしみとか、自然に対する気持ち、ロバに重いものを持たしては可愛そうだとか、野生動物も随分殺してしまっている訳ですから、そういうような動物・生き物への想いが一片のクッキーから湧き上がってくる。そういう経験が最近ありました。

――― ifs : 先生のお人柄が感じられるようなエピソードですね。ありがとうございます。私たち、生きているので、これからもいろんなものを買ったり、サービスを受けたりしていく中で、先ほどおっしゃっていた、手にした時にストーリーが広がっていく、そういうものを生活のそばに置いておきたいっていう、そんな気持ちになります。

近藤:人生が豊かになると思いますね。経済的な豊かさではないかもしれないが、そういうところから意識していきたいですね。

――― ifs : 今日は先生の豊かなご経験と知見、それから身近な生活に関わるようなお話も含めて本当にたくさん伺えて、しかもそれが私自身とても励まされるようなもので、とても有り難かったです。近藤先生、今日はどうもありがとうございました。

<インタビューを終えて>
ファッションという媒体のもつ可能性、近代的な西欧規範に距離を置くこととサステナビリティ、手に取ったものを起点に、その後ろ側で巡るものに想いを馳せることなど。世界の思想、文化を熟知された近藤先生だからこその、説得力のある励ましのメッセージを数多くいただきました。この時代に新しいものをデザインする、それを社会に送り出すことの意義を出発点に戻って考えたいと改めて思いました。


近藤氏と浅沼 

著者情報

伊藤忠ファッションシステム㈱ 第1 ディビジョン マーケティング開発第2グループ  シニアプロジェクトマネジャー インテリア、ファッションのバイイング、マーケティング業務を経て、現在、消費と衣食住の未来予測を発信する英国企業WGSN 日本マーケットを担当。立教大学大学院21 世紀社会デザイン研究科修了。研究領域は消費論、欲望論、アイデンティティ論。ボクササイズと猫が趣味のばなな世代-X 世代。

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